言葉のキャッチボール

「言葉のキャッチボール」とは、よく聞く言葉。
投げ手と受け手がいるわけだ。

だが、時折りそこへ評論家が紛れ込むことがある。
さも分かったかのようなことを言い放ち、投げ手にも受け手にもならない。

実績のない評論家が言い放つことは、ほぼ悪口・誹謗中傷である。
それは心の弱い人にとっては、鋭い刃で傷つけられている状態だ。

投げ手と受け手同士であれば、ぶつかり合いながらも
二人の化学変化によって素晴らしい結果が見られたり
より良い方向へと転がり出すものだ。

評論家は好き勝手言い放つだけで、当事者はそれを聞いて
前に進めるわけではない。
正に戯事なのである。

また、評論家は個人の主観で好き勝手言い放っているだけで、
数字や科学で検証もしない。
外野から何を検証できるのか?
何もできないから、好き勝手わめいているだけの存在だ。

だから評論家は遮断すべし。

そんな奴は自分の人生に”ちょっとも”役に立たない。

親の立場にいるのならば、子供たちの評論家になってはいけない。
子供たちも立派な投げ手であり、受け手であるからだ。

私は複数の外注さんを抱え、コンサル生を抱えているが、
その大切な仲間たちを批評することはない。

どうしたら皆で稼げるかの切磋琢磨は必要だ。
ぶつかり合い、削りあい、本当の部分が出るまで
ブラッシュアップするわけだ。

そこで私はビジネスの支援をするのだが、注意が必要だと思っているのは
“支配者”にならぬよう自分を戒めながら支援しなくてはいけないということ。

私が支配者となった瞬間にブラッシュアップが止まる。
進化を止めれば、退化が待っている。

中には”支配されている風”の言い回しで責任回避しようとする人がいる。

ブラッシュアップの前にこちらが支配者にされてしまうため、これも退化の一歩を辿る原因となり得る。

話の根っこにたどり着く前、掘り始めの段階で
「すみません、私が悪かったです」と言う。
下手な夫婦喧嘩のようだ。

あなたは謝れば済むと思っているの?
ふざけんじゃないわよ!!

奥方の言っていることは間違っていないと、今 気づいた。

言葉のキャッチボールが噛み合わない人とは、無理に付き合う必要はない。
感覚のズレは、一生 平行線だからだ。

私のコンサル生もキャッチボールできる人しか残っていない。
お互いがお互いを尊重しあえるものと信じている。

いまお金に困っている人
人間関係に困っている人

不用品は売りましょう
粗大ゴミは捨てましょう

不用品も不要な人間関係も、なくなれば頭の中に空きができる。

そしたら目の前の人生も
少しは楽しめる余地ができるのではないでしょうか。

もっと理解を深めたい方は苫米地先生の
“「頭のゴミ」を捨てれば脳は一瞬で目覚める!”
を読まれてください。

毎日スッキリ頭で活動しましょう!

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